About Me - その時、時代は動いた!(^O^)/


名 前 鴇田 靖

芸 名  ときた やすし (読めない人が多いので、これでJASRACに登録)
生年月日 1957年11月24日生まれ
血液型 B型 (家族・親戚一同 全員BB型)
星 座 射手座
出生地 宮城県古川市(現在の大崎市) 幼稚園より仙台

 

■ギターとの出会い

 小学校3年生ぐらいの時から音楽に目覚め、「歌手」を目指す(笑)。世はまさに、高度成長期。GSとビートルズが渦巻いてた頃。

 直接の原因は、イトコのギターに触ってしまったコト。それはまるでウルトラマンティガになるダイゴ隊員が、光のピラミッドに入り、巨人の石像に吸い込まれ、ウルトラマンティガになっていくように、なるべくしてなった「必然」と言えよう(笑)。ダイゴ隊員が「スパークレンス」によってティガに変身するように、私もギターを手にして、眠っていたDNAが、覚醒してしまったのだ。

 

■ギター・デビュー

 ギターを欲して、早2年。10歳になった私は、ついに2万円のお小遣いを貯め、イザ、ヤマハ仙台店へ(笑)。

 この時、実は何もよくわかっていなかったのだ。「エレキ・ギター」と「その他のギター」ぐらいにしか、判別できていなかったのだ。で、2万円で買えたのが「ガット・ギター」。クラッシック・ギターとどこが違うのかと言われると言葉に詰まるのだが、とにかくそれを買ってしまった。

 ちなみにその時ショーウィンドに飾られていたギター、テレキャス15万円・ストラト24万円・レスポール38万円。サラリーマンの初任給が10万円にも満たない時代である。

 

クロコダイルでのライブ・ショット。

ギターは、YAMAHA パシフィカ。

Tシャツはいつも同じ。お気に入りの「マイアミ・ドルフィンズ」のもの。

 

■ギター生活

 以来、「24時間ギター生活」に入る(笑)。寝てもさめても「ギター・ギター・ギター」(爆)。ギターを購入した後に買った教則本の1曲目は「湯の街エレジー」(^O^)/。この頃まだ、ロック・フォークの教則本など無かったのだ。

 たまたまラッキーなことに当時、家庭教師をお願いしていた「中村のおにいちゃん」が、「ギターの達人」だったのである。クラッシック・スパニッシュ・ロック・フォークなどなど、今考えてもなんであんなにギターを弾けた人が「家庭教師」だったのか、不思議でならない。すべては「運命」ということか。

 「カテーキョウシ」と「ギターコウシ」が一緒なのである。ギターを10分教わって、20分模範演奏。そして1時間30分勉強。週に1回やってくる「天国と地獄」の時間である。

 

クロコダイルでのライブ・ショット。

ギターは、YAMAHA パシフィカ。

着ているTシャツはいつも同じ。お気に入りの「マイアミ・ドルフィンズ」のもの。

 

■ステージ・デビュー

 なにが、どこで、どうなったのか。5年生の時「6年生を送る会」で、ステージ・デビュー。この時演奏したのはフォークソングの名曲「花はどこへいった」。これで全校生徒・全教師の度肝をぬくことになる。私の行っていた学校は「国立」で、私たちは「モルモット」(爆)。データーを取る題材である。こんなめずらしいデーターを彼らが見逃すはずはない。そして小・中と9年間一緒である。学校も隣。
 以後、この学校に「ギター・ブーム」がおとずれる。当時、私がハマっていたのは「吉田拓郎」。フォークソング・ブームである。ただ、幸か不幸か、私のイトコ達は、全員私より年上。私のところにドンドン、情操教育になるレコードを置いていくのである。ベンチャーズ、ビートルズ、ビーチボーイズ、ワイルド・ワンズ(笑)。2冊目に買った教則本は「ワイルド・ワンズ全曲集」(爆)。自分の意思で初めて買った洋楽は、ローリング・ストーンズの「Tell Me」。カタカナを振ってもらって、覚えたものである。

 

リハーサル・スタジオでのショット。

ギターは、YAMAHA パシフィカ。

着ているTシャツはいつも同じ。

お気に入りの「マイアミ・ドルフィンズ」のもの。

 

 

■バンド・デビュー

 そんなこんなで、学校内のギター人口が急増する。モルモットの学校なので、全員知能指数が高い。ひらたくいうと、「頭がいい」のである。そんな中、私の成績はといえば、常に「ケツから5番目」(爆)。これは5回連続同じ着順を占有して、先生に褒められた、というか笑われた。
 そしてついに中学2年生時、初めてバンドを結成。名前なし。3年生に現在仙台で活躍中の音楽プロデューサー・榊原君、プロになりエルザなどのバックを勤めたヨシキ君がいて、そのまま楽器を拝借(笑)。なんと中3にして彼らは、「バンドの全機材」を所有していたのだ。しかもそれを学校に持ち込んで、練習していたのである。どんだけ〜??な学校である(笑)。

 この時、ドラム・デビュー(爆)。クリーム、ビートルズなどを主に演奏。同級生にギターとベースがいてしまったため、足りないのはドラムなのである。仕方ないから「ドラム」なのである。忘れもしない、ドラムに初めて座って叩いたのが、クリームの「Sunshine of your Love」。それを何事もなかったように、叩けてしまったのである。叩ける自分も、見ている周りも、ぜんぜん不思議に思っていなかったのが不思議だ。ジンジャー・ベーカーと肩を並べるのである。
 この頃、NHKの「ヤングミュージックショー」でクリームがオンエアされ、学校内では「クリーム、見た?」が合言葉になった。時はまだ昭和40年代。「ギターは不良」の時代だ。げに恐ろしき中学校である。

 

こちらは「アコースティック・セット」の時のスナップ。

フェンダーのストラト・スティックを使用。これはカットのギター。

 

■バンド三昧

 某年某月、宮城県立泉高等学校に第一期生として入学。この時の同級生に、元ハウンドドックの藤村一清君がおり、以後くされ縁(笑)。FNE99、Pictograpなどいくつものバンドを結成。二高の学園祭にて体育館を満杯にし、その名を轟かす(笑)。この時はレッド・ツェッペリンをオリジナル・キーにて演奏。ボーカリストとして、ロバート・プラントと肩を並べる(爆)。仙台中のバンドがこっそり見に来ていたとうわさになったステージである。
 この頃のギターが、地元仙台で有数の豪商の息子で、足りない楽器は、みな買ってくれた「幸せバンド生活」(笑)であった。なんと当時超珍しい「シンセサイザー」も導入していたのである。ローランドのモノ・フォニックで、プリセット・タイプのヤツである。ウチのキーボードは、右手でシンセ、左手でフルートを吹いて「天国への階段」のイントロを演奏するのだ。コイツはのちに音大に行く、いわゆる天才肌である。ギターが弾けないのに、ギターをコピーできるのだ。彼曰く「音色が違うんで、何弦で弾いてるかわかる」そうである。LPの片面、20分ぐらいの演奏なら、1晩で全パートを譜面に起こしてくる。ちなみにそのLPは「オールマン・ブラザース・バンド」のライブだ(笑)。「スライドの音程が100%じゃないから、気持ち悪い!」と言いながら。譜面にしてしまうヤツである。
 この泉高校。二期生にエバンゲリオン作曲者の佐藤君、三期生には現スタジオ・ミュージシャンの福島君がいたのだ。そして、ドラムは藤村君と磐石にして最強の布陣。そんな中私は、ベース(笑)、っていうか、ベースがいなかっただけ。ジャック・ブルースと肩を並べるのである(笑)。  こうしてみると「ドラム」「ベース」「ギター」「ギター」、全員が後にプロになるバンドである。オールマン・ブラザース・バンド、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、フリー、バッド・カンパニー、BBA、クリームからキャロル、井上陽水まで、幅広く演奏。「放送室」を勝手に「スタジオ」として占有。酒・タバコ・女と、不埒な悪行三昧(爆)。


「一期生は早く出て行け!」と無事卒業。東京へ向かう。

 

 

■運命の出会い

 某年某月、某電子工学院(工学院専門学校)に入学。April Bandの母体となったFull Houseを結成。同級生にAprilのHPを作ってくれているライオンちゃん、初代ベーシストの吉田茂生くんがおり、そのラインからズルズルと、カット、ケタ、そして初代ギタリストの泉ちゃんと知り合う。

 この時はドラムに一清がおり、ライオンとツイン・ドラム。ツイン・ドラムとトリプル・ギターである。学校が蒲田にあり、私が蒲田に住んでいたため、「スター楽器」に入り浸ることとなる。以後、堕落へ道、まっしぐら(爆)。「ウチ」「スター楽器」「雀荘」「パチンコ屋」、この4箇所を探せば私は見つかるのである。

 

やっと見つけた、デビュー前−「フルハウス」でのショット。目で見る和製レイナード・スキナード(笑)。

一番左が前任ベーシストの吉田茂生君−フェンダー・プレッションベースUSA。その隣が前任ギターの高橋泉君−フェンダー・ストラトキャスターUSA。一番右が痩せてるカット(笑)−ギブソン・レスポール・カスタム。

場所は今はなき「横浜野外音楽堂」。多分、まだライオンと一清でツインドラム。ツインドラム+トリプル・リードで、どこに行ってもPA泣かせの、嫌われ者バンドでした(爆)。

私のギターは、グレコ・エキスプローラのプロトタイプ。KISSからオーダーのあったもの。エースに1本、私に1本。当時ギブソンが再発したものより、100倍きれいでした。色はオリンピック・ホワイトで、泉ちゃんのストラトとお揃い(^O^)/。アンプもレイナードとお揃いの、ピーヴィーのデュース。このギター、売らなきゃよかった(泣)。

同じギターの、エース君(笑)。君がオーダーしてくれたおかげで、このギターがあったのさ。

サンキュー!エース!!(笑)

 

 

 

写真提供:さなえっち

 

■伝説の東京Bブロック

 ヤマハのコンテスト、「イースト・ウェスト」に出場した時のことである。蒲田のスター楽器から出た私達は「東京Bブロック」の予選会にでることになる。この「東京Bブロック」が、とんでもない激戦区だったのだ。

 この時、本選会に出場できたのが「アナーキー」。以下「子供バンド」「ジュガンド」「ムサシ」、そして私達「April Band」と、この予選会後にプロになるバンドが、目白押しなのである。どのバンドもあと1年ずれていれば、本選会に出場できるバンド揃いである。見ている私たちも、面白くてしょうがないコンテストだったのである。
 その時、ゲストにきていた「トシ・太郎とリバー・サイド」。かわいそうなことに、観客から「帰れコール!」が起きてしまったのだ。それは当然とは言え、あまりにも当然の結果。コンテストに出ているバンドのほうが、みなはるかにウマいのだ。「帰れコール!」には、審査員も納得してしまったという、曰くつきのコンテストである。

 

こちらはリハ・スタでの未公開ショット。普通にみんな、ノリノリです。これで本番前日の午前2〜3時頃(笑)。

コーラス隊は「ご懐妊」チーム。赤ちゃんは大きくなったかな?また遊びにきてね。

 

■メジャー・デビュー

某年某月、「April Band」としてビクターよりデビュー。このときに最後のメンバー、たこへーが加わり、以後30年間このバンドが続くことになる。

LP−「From YOKOHAMA City」・Single−「Last Lady」をリリース。爆発的に売れる・・・

はずもなく、後輩のために、さっさと消える(爆)。
以後、アイドルのバックバンド、スタジオ等に参加。

 

多分宣材のために撮ったショット。今も昔もあいかわらずのカッコをしています(笑)。帽子にまだ羽根が付いていません。この帽子は、今もちゃんと部屋にあります。(爆)

持っているのは、フェンダー・テレキャスター77年USA。プロを目指して東京に行った友人のところにあります。すでに、3ピックアップに改造。メチャ重いんですが、ものすごくいい音がします。尾崎君もステージで、何度か使用しています。

多分、高田馬場のBIGBOX。後ろに、タコヘイが隠れています。使っているのはストラトUSAのナチュラル。ハーフトーンが絶妙な音。泉ちゃんのストラトとほぼ、同年代です。この頃は、コイツと下の白と、サンバーストを使ってました。

多分、新宿駅前。何かの番組の収録だったと思います。

使っているのは80年代のストラトUSA。へんなアームが付いていたような記憶があります。コイツは音がAOR(笑)。一番色々な音が出てくれました。

これはどこだか、わかりません(笑)。

使っているのは、YAMAHAのSC−700。デチャッタブル・ネックなんですが、メチャメチャいい音でした。こいつは、盗まれて無くなりました(泣)。バジー・フェイトンの音がでます(笑)。今でも欲しい1本ですね。スルー・ネックよりこちらのほうが、よりストラトらしい音が出ます。

後ろは、うら若きタコヘイの姿(^O^)/。フェンダーのジャズベかな?

これも同じテリー。サンバ・ホイッスルをぶら下げているので、かなり初期の写真かな。

これはフジテレビ主催の、ふりーばるでのショット。実はこの隣に、同じくテレキャスターを持った江口クンがいます(笑)。ただ、ちょっとはずかしいカッコをしているので・・・(爆)。

3人ギターで、レスポール・テレキャス・テレキャス。不気味なバンドです。

横浜野外音楽堂でのワンショット。使っているのはYAMAHAの12弦ギター。当時はまだ珍しかったアコギ用ピックアップを装着。このピックアップは、デ・アルモンド製。シャリシャリした音でしたが、当時の私にとっては、とてもありがたいものでした。

 

 

■転機

某年某月、尾崎豊&Heart of Klaxonに参加。第一期、第二期でギターを勤める。

 

こちらもリハ・スタでの未公開ショット。ご老体にムチ打つ、弦楽器チーム。

エイプリルバンドは、リハスタにいるのが大好き(笑)。誰かがへばるまで、永遠にノリノリが続きます(爆)

 

■現在

以後、音楽活動を自粛。現在に至る。

 

こちらは、超レア。仙台のバンド「クルール」でのステージ・ショット。アコギ×2、カホン、ボーカルでの4人編成の時のもの。

晴れ時々キーボード(笑)。実は大好きだったりして(爆)。

ちゃんと、自分のセットです。これを買う金で、ギターを買っていれば・・・(泣)。

シンセに100万ぐらい突っ込んだハズ(爆)。

でもいいんです、楽しいから(^O^)/

一番上の写真の、もとになってる写真(笑)。

お気に入りのビルローレンスを持って、ルンルンの野外です。右にちょろっと見えているのは、すずやんのギター。ゴールドのミュージックマン・モドキ(笑)。私が買って、気に入らなくて、すぐすずやんに譲ったギター。想像していた音と、まったく違うものでした(爆)。すずやんも今は、コンバット。あっ、アロハの中に着ているオレンジのTシャツは、エイプリルのTシャツです(笑)。

 

 

 

写真提供 KENちゃん LION MAIちゃん:いつも、ありがとう!(^O^)/

ジャケット・フライヤー作成:ミルキー・スタジオ お世話になりました!<m(__)m>


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