Columu 77

エレキ・ギターは楽器ではない?


ふむふむ、我ながら良い題名である。

何事かと首をかしげるだろうとは思うのだが、エレキ・ギターは「楽器」では無いのだから、しょうがない。

ちなみにアコースティック・ギターも・・・「まだ」楽器ではないようだ。

 

何を言いたいのかというと、「コピー・モデル」の話である。

コピー・モデルはコピーなんだからしょうがない。

しかし・・・ピアノにはコピー・モデルがあるのだろうか?

フルートには?

ティンパニーには?

 

古くから存在する楽器は、おおよそ「楽器の形」が決まっている。長い年月を経て、理想と思われる形に落ち着く。機構や機能の部分でのコピーはあるだろうが、「楽器の形」はおおよそ決まっている。厳密に言えばその楽器それぞれの業界では、コピーという認識はあるのかもしれない。でも一般人である私は、それを知らない。YAMAHAのピアノが何をコピーしたものなのか?、などという話はきいたことが無い。スタンウェーやベーゼンドルファーのコピー・モデルなのかも知れない。しかしその「カタチ」が似ているからといって、批判を受けているのだろうか?。バイオリンで、ストラディバリウスのコピーを作っている人がいるのは知っている。ではその人はコピー・モデルを作っているので2流3流?。でもそれ以外の人のほとんどが、「同じカタチのバイオリン」を作っている。誰が本家かまでは知らないけれど、そういう意味では、ほとんどは「コピー」なわけだ。

 

ドラムを一番最初に作ったのは誰?。ラディックやグレッチかな?。じゃあ日本のメーカーは、皆コピー・モデルなんだね。じゃあ、2流3流?。そうじゃないよね。今ではYAMAHA・TAMA・Pearlの方が、使用者は多いくらい。たしかにラディックやグレッチあるいはソナーは、名声を失ってないし、今でも作られているし優秀である。でも・・・日本製のドラムをコピー・モデルっていう人、いるのかな?
 

 

エレキギターが出来たのが、1950年代。まだ、たかだか60年しか経っていません。ほぼ私が生きているのと、同じ年数(笑)。だから楽器としての歴史が浅く、「スタンダードなカタチ」に対する認識が確定していません。「バイオリンはこの形」「ピアノはこの形」という、一般人が認識する形です。やはり「楽器」というものは、その「スタンダードなカタチ」が定着して初めて「楽器」として認識されるもの。それがまだ確定していないエレキギターは・・・まだ「楽器」じゃないってことなんだね。

 

これ、アコースティック・ギターは、今ギリギリのところ。勿論、マーティンやギブソンの「コピー・モデル」としているものも存在します。「YD−45」なんて言われたら、「マーティンD−45」のコピーって、誰でも思います。でも、そうじゃない「アコースティック・ギターの形」は、ほぼ認識が定まってきています。もちろん基本的な形は「マーティンDシリーズ」「ギブソンJシリーズ」にあるのは誰でも知っています。でももう、ある程度は「楽器のカタチ」として定着してますよね。この「Dシリーズ」「Jシリーズ」に似ていたとしても、普通に売っているアコギは、コピー・モデルだから、なんて責められません。そう、「基本的な形」が定着して、それが「あたりまえ」になって、それが「普通」になれば、はじめて「楽器」としてスタートするわけです。クラシック・ギター、ガット・ギターは、完全に「楽器」ですよね。

 

だからエレキギターは・・・まだ「楽器」じゃないんですね。私が思うに、未来永劫、レスポールやテレキャスター、ストラトキャスターの形は消えないでしょう。いつかはこれが「あたりまえ」になるはず。いや、現実には「あたりまえ」なんですけどね。レスポール・テレキャスターは、これ以上手を加えられないほどシンプル。しかも「理に適った形」です。本来これが「エレキギターのカタチ」として、スタンダードになっていいはずなんです。ところが・・・これを「コピー・モデル」といって、認めない人がいます。いますというか・・・大半の人は、認めていません。「別な形」「オリジナル・シェイプ」じゃないものは、すべてコピー・モデルとして、切って捨てられます。じゃあ、バイオリンもピアノも、「別な形」「オリジナル・シェイプ」じゃないとダメなんでしょうか?。もともと作っている会社が存在していようがいまいが、「スタンダード」になってしまえば、それは「その楽器のカタチ」としてあってよいもの。それと同じようなカタチをしているからといって非難されるのは・・・

もう、エレキ・ギターしかないんじゃないでしょうか?

 

「スタンダードなカタチ」が無いと、いろいろなカタチのものが出てくるのは、自然なことです。ただ今後エレキギターは、「多数のスタンダードなカタチ」が共存する楽器になると思います。クラッシックで使われる楽器−ピアノやバイオリンは、その「固有の音」を求められます。たしかにその道の人に言わせれば、メーカーによる「音の違い」はあると思います。でも、一般の人からすれば、「その音」としか認識できません。ピアノの音はピアノの音。バイオリンの音は、バイオリンの音。

 

でもエレキギターは、いろいろな音がでます。「卵とニワトリ」になりますが、「色々な音」が出るから「現代音楽」に使われるのか、「現代音楽」が「色々な音」を求めたのか、それはわかりません。でも、いろいろな音がでます。なので、いろいろなモデルがこれからも存在し、レスポールやテレキャスター、ストラトキャスターは「基本的な形」になり、それ全体で「エレキ・ギター」として、認識されることでしょう。だから、ですね・・・(笑)
 

 

日本のメーカーが、レスポールやテレキャスター、ストラトキャスターを作っても、いいじゃないですか。なぜこれが非難されるんでしょう?。私は、不思議でたまりません。もともとコピー文化が根強い日本で、なぜ「ギターのコピー」だけが非難されるんでしょう。スマートフォンはiphoneのコピーです。スマートフォンは否定されてますか?。冷蔵庫は、どれもこれも同じようなカタチ。なぜ、非難されないんでしょう?。そう考えると、エレキギターの世界こそが、異常なんじゃないですかね。

 

たしかに、オリジナルのレスポールやテレキャスター、ストラトキャスターと日本製のものは、違っているかもしれません。というか、同じである必要はないと思うんですが、どんなもんでしょう(笑)。同じものがあってもいいし、違ってるものがあって当然、じゃないんですかね。「オリジナルが標準」なのは、当然です。だって「そのギター達」が、現代の音楽を奏でてきたんですから。ロックを支えてきた、ロックを作ってきたのは、オリジナルのレスポールやテレキャスター、ストラトキャスターです。尊敬も憧れもあって当然です。まったく同じ物を作ろうとする人もいます。でもおかしなことに同じコピー商品でも、「オリジナルによく似ているもの」は褒められて、似ていないと非難されます。
 
「???」
 
おかしくないですか?。「本物ソックリのコピー商品」は褒められて、「本物とは違うコピー商品」は、否定されるんです。バッタモンだから?。なんかそうやって、どっかの国の商品を非難していませんか?。島国根性、まるだし?。それとも、ブランド依存?

 

私は「日本製のギター」を使っていても、まったくはずかしいと思ってませんし、不思議だとも思っていません。私は気に入ってますし、それでいいと思ってます。逆にフェンダーJを喜んで使っているアメリカ人もいるのに。日本人は否定して、その他の国の人は認めてもなお、日本人は認めないんですね。悲しくないですか?。日本のギターって・・・そんなにひどいですか?。ギブソンやフェンダーと「同じ物」を作れないことが、そんなに悪いことなんでしょうか?。でもそれを言ったら、今のギブソンやフェンダーだって・・・じゃないですかね?。じゃあ、ギブソンやフェンダー以外、要らないわけだ。そうまでして、自分の国の文化を否定して、楽しい?。

 

私は今でもトーカイ・ヤマハ・グレコ・フェルナンデス・バーニー・グヤトーンのギターで、「とあるもの」が欲しくて探しています。もちろんギブソンやフェンダーのオールドも欲しいけど、それほど切実ではありません。でもこれらの日本製のギターを、できればもう一度使いたいと思っています。私にとって「良いギター」は「私の欲しいギター」。どこの国の製品なんて、関係ありません。年代も、シリアルも関係ありません。「そのギター」が欲しいだけ。「ギターを楽しむ」のに、日本ってとっても良い国だと思うんですけど、違うんですかね?。まあ・・・

否定するような人は、ココに来て、こんなのは読まないでしょうけどね(^_-)-☆

 

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